旅のラゴス 著筒井康隆  を読んで 

背景

 筒井康隆は、1934年大阪出身で、小松左京星新一とならんでSF御三家と称されている。彼の代表作は、時をかける少女でアニメ作品にもなっており、多くの人が知っていることだろう。

 

内容

 ある青年が、三十年をかけ、故郷から未開の南に向かい旅をし、ある町でUターンし、訪れた道を通って故郷に帰り、故郷では旅で得た知識を使い自分の人間社会での使命をやりとげ、旅の心残りのためにもう一度旅をした所で話が終わる。

 この作品の主人公である青年は、故郷の発達した都市で勉学に励んでいたため知識があった、未開の地の旅路で彼はその知識を使うことがおおいにあった。まず始めに、瞬間移動であり、彼は成功した。といっても、この作品では瞬間移動すること自体は当たり前だが、瞬間移動する対象が多いと困難であった。が、彼は村人達と共に瞬間移動に成功し村人からも信頼された。信頼されたという結果に終わり彼は成功した。

 次に、彼は奴隷として捕まり、銀鉱山で働かされていた。そこで、彼は奴隷ながらもその知識を生かして銀の精製技術を向上させ、銀の精製効率を上げた。その功績から、鉱山長でさえ認める存在になり、奴隷ながらも鉱山の町では裕福な生活を送っていた。しかし、その一方で精製効率が上がったため、以前よりも多くの原石が必要となり。採掘する奴隷はより働かなければいけなくなった。また、鉱山長の息子は、銀の売買で手に入ったお金で武器を購入して他の町へ行き奴隷集めにいそしみ、また戦により足を失った町への復讐に燃えていた。

 Uターンする地点では、元々何の産物もない村が、主人公が村人にその土地で採れるコーヒー豆の煎り方を教えて、またコーヒーの木の育て方を教えることにより、その村はコーヒーを名産にし大いに儲けた。そのせいで、村は密猟者と戦ったり、その対策のために法外な値段でコーヒー豆を商人に売りつけたりもした。しかし、儲けた金によりただの村が、王国にまで成長した。そして、主人公は王様にまで上り詰めたのであった。

 そこから、主人公は故郷へ帰っていくのである。

 

思ったこと

 この作品は、科学技術が急激に発達し続ける現代に警鐘を鳴らしているように感じる。主人公も、「心理的向上政治的向上もないままでの、急激な発展は混乱を招くだけである。」等の発言をしている。

 ここからは私の意見であるが、それは仕方のないことで止められないことだと思う。誰かしらが自分の利益の為に、新しい科学発明品を売り出し、その発明品に対抗するために他の人もその上を行く化学製品を発明する。そういう風になると、科学の急激な発展は止まらない。ましてや、問題が起こる前にそれを予測するのは大変困難であるから、生じた問題を時代の潮流に乗りながら解決していかなければならないだろう。今までの歴史を見ても、そのようにして科学技術が発明されていき現在があるのは明白である。

 ただ、不安なことは科学技術が発達するに従い、一人一人が及ぼす力が大きくなったという点だ。例えば、大昔のこん棒しか無かった時代は、せいぜい人ひとりを殴るぐらいしかできなかった。しかし、現代ではスイッチ一つで核ミサイルが放たれて、数百万規模の死者さえでる。こういった時代になってくると、1人の失敗や犯罪により多くのものに被害を与える。だからこそ、科学技術の発達していく中で、社会的・政治的な失敗は許されなくなる。たった1人の反社会的勢力を作ることさえ許されなくなってくる。だからこそ慎重になっていくべきだというのも分かる。

 将来がどうなるのか非常に興味深い。