四畳半神話大系 1-2 on netflix を見て

 この前、ブログで紹介した四畳半神話大系のアニメの続きである。

 

内容

 この前の1-1では、主人公はテニスサークルに入っていたが、今回は映画サークルみそぎに入り、大学の2年半が過ぎた所で話が終わった。

 このアニメは、パラレルワールドの世界を表している。細々としたところは、変わっているが、大まかな設定は変わっていない。まず変わったところは、恋人になろうかという明石さんとの約束は、一話目は猫ラーメンを一緒に食べようというものであったが、二話目では主人公がしっかりとした恋愛映画を作る約束をしていた。変わらない所は、主人公がみんなから嫌われていて、みんなから追いかけられている時に、必ず明石さんが助けてくれるという点や、明石さんが少なからず主人公に好意があるだろうと見える点だ。

 

感想

 このアニメのジョークがいいなと思った。それは、主人公が木屋町を歩いている時に、占い師を見かけて占ってもらうことに決めたのだが、その理由というのが、「並々ならぬオーラを絶やさず流し続けているこの老婆には只ならぬ力があるという、論理的極まりない理由の為、この占い師の話を聞いてみた」等と言っていた。

 オーラなんて目に見えなく感覚的に感じるしかないものを論理的な証拠にしており、また証拠から結論までの論理のステップが少ないにも関わらず、論理的極まりないとまで言っている。この乖離というのが個人的には面白いなと思った。

 

旅のラゴス 著筒井康隆  を読んで 

背景

 筒井康隆は、1934年大阪出身で、小松左京星新一とならんでSF御三家と称されている。彼の代表作は、時をかける少女でアニメ作品にもなっており、多くの人が知っていることだろう。

 

内容

 ある青年が、三十年をかけ、故郷から未開の南に向かい旅をし、ある町でUターンし、訪れた道を通って故郷に帰り、故郷では旅で得た知識を使い自分の人間社会での使命をやりとげ、旅の心残りのためにもう一度旅をした所で話が終わる。

 この作品の主人公である青年は、故郷の発達した都市で勉学に励んでいたため知識があった、未開の地の旅路で彼はその知識を使うことがおおいにあった。まず始めに、瞬間移動であり、彼は成功した。といっても、この作品では瞬間移動すること自体は当たり前だが、瞬間移動する対象が多いと困難であった。が、彼は村人達と共に瞬間移動に成功し村人からも信頼された。信頼されたという結果に終わり彼は成功した。

 次に、彼は奴隷として捕まり、銀鉱山で働かされていた。そこで、彼は奴隷ながらもその知識を生かして銀の精製技術を向上させ、銀の精製効率を上げた。その功績から、鉱山長でさえ認める存在になり、奴隷ながらも鉱山の町では裕福な生活を送っていた。しかし、その一方で精製効率が上がったため、以前よりも多くの原石が必要となり。採掘する奴隷はより働かなければいけなくなった。また、鉱山長の息子は、銀の売買で手に入ったお金で武器を購入して他の町へ行き奴隷集めにいそしみ、また戦により足を失った町への復讐に燃えていた。

 Uターンする地点では、元々何の産物もない村が、主人公が村人にその土地で採れるコーヒー豆の煎り方を教えて、またコーヒーの木の育て方を教えることにより、その村はコーヒーを名産にし大いに儲けた。そのせいで、村は密猟者と戦ったり、その対策のために法外な値段でコーヒー豆を商人に売りつけたりもした。しかし、儲けた金によりただの村が、王国にまで成長した。そして、主人公は王様にまで上り詰めたのであった。

 そこから、主人公は故郷へ帰っていくのである。

 

思ったこと

 この作品は、科学技術が急激に発達し続ける現代に警鐘を鳴らしているように感じる。主人公も、「心理的向上政治的向上もないままでの、急激な発展は混乱を招くだけである。」等の発言をしている。

 ここからは私の意見であるが、それは仕方のないことで止められないことだと思う。誰かしらが自分の利益の為に、新しい科学発明品を売り出し、その発明品に対抗するために他の人もその上を行く化学製品を発明する。そういう風になると、科学の急激な発展は止まらない。ましてや、問題が起こる前にそれを予測するのは大変困難であるから、生じた問題を時代の潮流に乗りながら解決していかなければならないだろう。今までの歴史を見ても、そのようにして科学技術が発明されていき現在があるのは明白である。

 ただ、不安なことは科学技術が発達するに従い、一人一人が及ぼす力が大きくなったという点だ。例えば、大昔のこん棒しか無かった時代は、せいぜい人ひとりを殴るぐらいしかできなかった。しかし、現代ではスイッチ一つで核ミサイルが放たれて、数百万規模の死者さえでる。こういった時代になってくると、1人の失敗や犯罪により多くのものに被害を与える。だからこそ、科学技術の発達していく中で、社会的・政治的な失敗は許されなくなる。たった1人の反社会的勢力を作ることさえ許されなくなってくる。だからこそ慎重になっていくべきだというのも分かる。

 将来がどうなるのか非常に興味深い。

四畳半神話大系 1-1 on netflix を見て

 四畳半神話大系は、元々森見登美彦によって書かれた小説で、京都大学に通う冴えない男が、ある美女との恋を成就する過程を描いたファンタジー要素の強い作品である。元々、小説自体は読んでいたが、NetFlixに登録したので久しぶりにアニメで見ることにした。アニメは十二話完結になっており、今回はその一話目を見た。

 

内容

 内容としては、大学に入りテニスサークルに入った主人公が、大学に入るまでに人とのコミュニケーションの仕方を学ばなかったために、入学してすぐに参加したテニスサークル「キューピッド」で友達も恋人も作れず、それにふてくされて他人の恋路を邪魔していた3回生の時に、下鴨神社近くで臨時屋台ラーメンを食べていると、下賀茂神社の神と名乗る男に出会い、その男曰く十月にある出雲大社での神々による会議では主人公か主人公の悪友かをある一人の乙女の恋人にするといった。悪友を乙女の恋人にすると乙女が可哀想だと考えた主人公は、自分自身を乙女の恋人にしてほしいと神に頼み、神は主人公に指令を与えるが、主人公はその指令を緊張のあまり失敗に終わった。

 

感想

 小説では、小難しい単語で描写していて、おごおごしさを表していた。アニメでも、おごおごしさを表すために、小難しい単語も使っていたがそれらを早いスピードで話していた。そうすることにより、作品が出す雰囲気に引き込まれていった。それは日本の祭りの様な幻想的て雰囲気である。

 これは人にも言えるんじゃないかと思う。

 その人が話す単語やスピードはその人らしさを表していると思う。なぜなら話す際は、自分が好きな単語を使いまた自分のスピードで話す。だからこそ人の話を聞くとその人がどういう人かが分かる。

 しかし、私のようなアホもいて、自分の使いたい単語や、話したいスピード、声音等々あるけれど、人に伝える際には頭や舌が回らず、現実が理想に追いつかない。そんな人もいるだろう。自分の好きな話し方で話すのはどれほど素晴らしいことだろう。

 

「分身」著東野圭吾  読んでみて

背景

この作品は1996年に初版が発売された。その年はドリーという羊が生まれた年である。ドリーはクローン技術によって生まれた初めての羊で、当時はその話題でもちきりであった。この分身という作品は、そのクローンを題材にしたミステリー作品である。理系である東野圭吾がいかにも書きそうな題材である。

 

内容

大学の教授を父に持つ氏家鞠子と、母子家庭で育った小林双葉の二人が主人公である。

氏家鞠子は、自宅での母親の焼身自殺やその前後での母親や父親の不審な様子から、母親の自殺理由を探していく中で、鞠子は父親が昔愛した女性のクローンであり、家族円満であったと信じていた母がその事実に苦しめられ自殺したことを知り、また鞠子も自分自身がクローンであったという事実に苦しめられる。

小林双葉は、母親から反対されたテレビ出演をきっかけに、不審な人物が自宅に訪れ母親と謎の話をした後、母親がひき逃げ事故にあい死亡した。そして脇坂講介に出会い、彼とともに、母親の死亡事故の原因を探っていった。その中で双葉は講介に恋をしたものの、自分自身の出生の秘密を知り、クローンの元である人物が講介の養母であり、講介が双葉に近づいたのも養母から命令されてとのことであった。そのため、双葉は恋心を傷つけられ、その上自分がクローンだと知り、孤独や自分が生まれてきた意味の無さに苦しめられる。

しかし、小林双葉と氏家真理子は自分達がクローンであることを知り孤独感に陥ったとともに、クローンとして同じDNAを持ち同じ悩みを抱いているという「仲間」がいるという事実が二人を孤独感から救ったのであった。

 

感じたこと

もし私が突然誰かのクローンであることを両親に伝えられたらと考えると、私の元を増やそうと誰かの意図により誕生したという事実により、端的に言うと悲しくさせる。例えば、もし仮に自分が偉業をなしたとしても元のDNAがよかったというだけで自分の努力などは認められない。これは私の感情を無視し人格をも無視している。そういう人生をこれから強いられていくのは非常に悲しく無意味な気がする。そんな風に考えると、今の世界でクローンを用いて人を造るというのは人権侵害に当たるのではないかと思う。

次に、別々に育てられた同じクローン仲間と会うとする。すると、自分の声で自分と同じ顔で話す誰かというのは非常に気味が悪いが、どういう話をするのかというのが非常にわくわくする。といのも、育てられ方は違うのだから違う考えを持っているだろうし、しかし当然基礎能力的なものは同じであるから同じ苦しみを持っている。何が同じで何が違うのかを話しながら探っていくのは非常に好奇心をそそられる。